NPO法人 さいたま市鹿児島県人会

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HOME > 活動報告 > 南大隅応援レポート[第2弾]隅におけない大隅半島《食・自然・歴史ロマンの再発見の旅》レポート

Activity Detailed Report

活動報告・詳細

南大隅応援レポート[第2弾]

隅におけない大隅半島
「食・自然・歴史ロマンの再発見の旅」レポート

[開催日]2016年2月12日(金)~ 14日(日)
[旅 程]2月12日(金)
     鹿児島空港 ~ 道隆寺跡 ~ 唐仁古墳群(大塚神社)~ 吾平山上陵 ~ 花瀬公園 ~ 佐多岬ホテル
     2月13日(土)
     佐多岬ホテル~御崎神社・御崎祭り ~ 雄川の滝 ~ 花の木牧場 ~ 神川大滝 ~ 道の駅根占 ~
     諏訪神社 ~ 鬼丸神社 ~ 禰寝家墓所(第5代~第16代まで)~ 西郷南洲翁宿泊の家~ネッピー館
     2月14日(日)
     近津宮神社・御崎祭り(2日目)~ 禰寝家墓所(初代~第4代まで)~ 台場公園 ~ 福山酢工場 ~
     鹿児島空港

隅におけない大隅半島「食・自然・歴史ロマンの再発見の旅」

2016年2月12日(金)~ 2月14日(日)に開催された「隅におけない大隅半島「食・自然・歴史ロマンの再発見の旅》」にて、大隅半島を満喫しました。大隅半島には「古代日本の歴史」が、いっぱい詰まっていることを、あらめて感じた旅でした。旅の内容も、盛りだくさん! 今回の旅の思い出と見どころをご紹介します。

今回の旅は、東京在住の地元・大隅地方の歴史愛好家である中村敏矢さん(肝付町出身)の発案で企画されたもので、元放送局デレクター・高橋さん(東京出身)、映画監督・島田さん(新潟出身)をはじめ、関東南大隅会会長・堀之内さん、関東南大隅会幹事長・立神さん、秋田出身の佐々木さん、鹿児島出身の塩田さん、崎田さん、奈良さんなど、実に多彩な面々にご参加いただきました。

2月12日(金)の午前10時過ぎに鹿児島空港に到着し、マイクロバスで出発。流れる風景は、どこまでも畑、竹藪、林…まさに「隠れた安らぎの場」でした。大隅半島へ向かう途中、肝付町の森の中にあるレストラン「森小休(しんこきゅう)」に立ち寄り、地元の食材を使った素敵なフレンチをいただきました。
そして、ここで地元の歴史愛好家の方々と合流。美里吾平コミュニティ協議会事務局・本九町(もとくちょう)さんに道案内をしていただきました。


たったひとりで遺跡を復元?!

道隆寺跡:肝付町新富本庄

まず訪れたのが、道隆寺跡。雑木林に埋まった遺跡を、なんと!たったひとりで掘り起こしたすごい人・福谷平さんに会いました。

福谷平さん福谷平さん「もともと自分の土地にある雑木林には、古い寺があった」とお父様に聞かされていた福谷平さん。役場に勤めるかたわら「少し掘り起こしてみようか」と、掘り起こし作業を始めたのが20歳代半ば。それ以降、30数年にわたって、ひとりで採掘を続けられたそうです。採掘を続けていくと(出土品が)出るわ出るわで、数多くの遺跡を発掘していったとのこと。ちなみに、福谷平さんが発掘した遺跡は、昭和46年(1971年)には町の指定文化財に指定されています。

三国名勝図会三国名勝図会この道隆寺は、天保14年(1843年)に島津斉興公の命で編纂された「三国名勝図会」によると、寛元4年(1246年)に中国・宋末の禅僧・蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんし)が33歳で来日して開山したとされており、その後、蘭渓は道隆寺を開いたのち、北条時頼に請われて鎌倉へ赴き、昭和38年(1253年)に建長寺を開山したと伝えられています。蘭渓は当初、筑紫や京都に住んだあと、鎌倉へ入ったという説もあり、鎌倉・建長寺の関係者も数回にわたってこの道隆寺跡を訪れて調査しました。その結果、建長寺に似た鎌倉文化が色濃く残っているとして「建長寺ゆかりの寺」と判断されたということです。この貴重な文化財を、ストイックな情熱をもって発掘し、みごと復元された福谷さんの功績に、私たちはとても感銘を受けました。

道隆寺道隆寺 道隆寺道隆寺 道隆寺道隆寺



大塚神社と鎌倉・鶴岡八幡宮に不思議な符合?!

大塚神社と唐仁古墳群:東串良町

次に訪れたのが大塚神社。宮司の堀口壽男さんが案内してくださいました。
「唐仁古墳群は、東串良町役場より南へ3㎞の地点に、前方後円墳を含む126もの古墳が点在する古墳群で、縄文文時代後期以前に形成されたと言われています(国の史跡名勝天然記念物に指定)。また、この肝属平野には、塚崎古墳群や横瀬古墳群などもあって、300以上の古墳が発掘され、鏡・容器・装身具など多くの出土品が確認されています。前方後円墳は、後代のものを除けば、鹿児島県内には肝属平野にしかなく、250年過ぎまで邪馬台国が存在したという説もあって、考古学に興味のある人たちの話題にもなっています。そして、その唐仁古墳群の第1号は大塚古墳です。長径が185mもあり、九州でも3番目に大きい前方後円墳です。かつてその頂上には大塚神社がありました。社殿の床下にある大きな石棺は、卑弥呼が眠るとも言われています」

大塚神社大塚神社 大塚神社大塚神社


大塚神社大塚神社大塚神社の由来にも、興味深いものがありました。三国名勝図絵は、
「大塚大明神は、武蔵の国本社、秩父権現、妙見大菩薩を歓請にて、本田貞親が開山した。島津忠久薩摩日向の守護職に就く際、家臣本田貞親を先に薩摩に派遣。その時、武蔵国秩父神社を島津の守護神として、この大塚の地に建立した。その際に頼朝(源頼朝)卿より、二引龍の紋指物と甲冑刀を末世の記として神前に納めた。そこが、この大塚神社である」(東串良町文化財保護審議会資料より)
と言われているそうです。史実は研究家の方々にお任せするとして、私には、大隅と埼玉が繋がったように感じました。
大塚神社大塚神社
さらに、もうひとつ不思議な符合が…この大塚神社の石段は64段あり、 鎌倉・鶴岡八幡宮の石段の上数と同じなのです。
皆さん、この事実をどう考えますか?



小伊勢に心が洗われる

吾平山上稜(あいらのやまのうえのみささぎ):吾平町

吾平山山稜は、可愛山陵(薩摩川内市)、高屋山山稜(霧島市)と並んで、鹿児島県下の神代三山陵のひとつとされています。海老原實業さんの解説です。
「山稜とは皇帝の塚墓(ちょうぼ)のことですが、この吾平山上稜は、全国でも珍しい岩屋の陵で、神武天皇の御父君(鵜葦草葦不合命:ウガヤフキアゲノミコト)と御母君(玉依比売:タマヨリヒメ)の御陵になっています。山稜までは駐車場から約500メートルあり、まわりの緑がとても美しく、澄み切った川のせせらぎが聞こえるなか、玉砂利が引かれた参道が続きます」

吾平山山稜は、伊勢神宮にも似た雰囲気があって「小伊勢」とも呼ばれ、毎年、数多くの参拝客があるそうです。この日は小雨模様で、参拝客も少なかったのですが、それがかえって静けさを引き立て、心が洗われる思いがしました。

吾平山山稜吾平山山稜 吾平山山稜吾平山山稜

サプライズの民謡。誰もが魅了された歌声

佐多岬(さたみさき):南大隅町

福谷平さん福谷平さん(2月12日の)夕方、その日の宿泊先の「ホテル佐多岬」に到着しました。日本本土最南端に位置するホテルです。このホテルの総括支配人・宮迫孝子さんは、この最南端のホテルを切り盛りしながら、地方創成のための情報の発信源として、日夜、頑張っています。この旅の夕食会では、翌日(2月13日)朝の「御崎祭り」を見学したいという地元の方々との交流を持ちました。

そして、ここでサプライズな企画が!
地元の民謡師範・松山勝志さんが、地元の民謡を、さらには安来節の踊りまで披露してくださったのです。松山さんは(歌手として)すばらしい実力の持ち主で、昭和58年(1983年)には鹿児島浜節・初代チャンピオンの座を獲得、昭和60年(1985年)には全国民謡大会(国技館)で優勝、昭和64年(1989年)には、全国民謡大会の青年部で優勝などの輝かしい実績をお持ちなのです。松山さんは、鹿児島浜節、木挽唄、地元の汐替節など披露してくださり、その歌声に、全員が魅了されました。

民謡師範・松山勝司さん民謡師範・松山勝司さん 民謡師範・松山勝司さん民謡師範・松山勝司さん

佐多岬から歌うよ

私たち全員が魅了された民謡師範・松山勝志さんの郷愁あふれる歌声を、存分にご堪能ください!
(映像中の再生ボタン再生ボタンをクリックしてください)

松山勝志さんプロフィール
肝属郡南大隅町佐多郡松山出身。昭和45年より、民謡・三味線・尺八の修業を始める。昭和56年頃よりテレビ出演など多数。阪神大震災時には現地を慰問しチャリティー活動を行う。その後も、敬老会や文化祭、広域文化祭などに出演。民謡では「着飾りすぎない」を信条に、現在は大隅の地で活動中。

汐替節


ハァ~エ~ 汐を替えまい
ハァ~ 夜を明けるまい
家じゃナ~ 家じゃあ妻子もヨ~
エ~ 起きるまい

「昼間は野山でよ。夜は浜辺じゃーい」

ハァ~エ~ 佐多の岬のヨ~
エ~エ~ 一株(ひともと)すすき
唄とナ~ 三味の鳴く音にヨ~
エ~ 舞い踊る

「夜明けの浜によ。塩のまばゆさかー。
 ハーかえちょれ、かえちょれ」

大隅石据え唄


家を建てる時や 地搗きが元ヨ
地搗き締まらにゃ よか家ゃ建たぬよ

此処のご亭主は いつ来て見ても
恵比寿様かよ ニコニコとよ

上げろ 持っちゃげろ 天竺までも
天の川原の 果てまでもよ

家を建てたなら ふすまと障子を
建ててすませて 早よ見とござるよ



佐多岬は、平成29年(2017年)の末をめどに、遊歩道を車いすでも通れるように改修し、展望台なども新たに設置して、多くの皆さんが観光に来ていただけるように整備していくとのことです。

 

佐多の正月の訪れ。古式ゆかしき御崎祭り

御崎祭り(みさきまつり)

御崎祭り御崎祭り2月13日は、朝5時起床、6時ホテル発、そして宵闇まだ開けぬ6時半からの「御崎祭り」の神事を見学しました。

この神事は、御崎神社に祀られている「タマヨリヒメ(妹姫)」が、佐多郡(さたこおり)にある近津宮神社(ちかつのみやじんしゃ)に祀られている「トヨタマヒメ(姉姫)」へ正月の挨拶に行くというものですが、なんと1300年も守り継がれてきた「大絵巻物語」は無形民俗文化財に指定されています。


御崎祭り御崎祭り朝6時半に、御崎神社の祭殿の扉が、おごそかに開かれ、お払いの後、タマヨリヒメを乗せた神輿が、前方に鉾、後方に傘を従え、笛・太鼓の音とともに、11ヶ所の集落を回りながらお祓いし、また浜に下り、山を登りしながら、郡の近津宮神社まで、約20キロメートルの道程を行脚します。

御崎祭りでは、各集落で(昔から決められている)ご馳走や料理を祭壇に供えて、御神幸一行や集まった人々に振る舞われます。神輿は、15時過ぎに近津宮神社のふもとの旧郡小学校脇の仮宮に到着。そこで一夜を過ごします。そして、翌日14日の12時から、いよいよ近津宮神社へと登ります。御崎祭り御崎祭り

この近津宮神社までは、道路から鳥居をくぐって、すぐに90度向きを変えて階段を登るのですが、この階段は幅が1mしかありません。しかも、鉾と傘の重量は30キロ以上! それを地面近くの低い位置を保持し続けなければならないので、相当の体力が必要です。地元では、過疎化が進んで若者が減っていることから、最近では鹿児島国際大学の学生の皆さんに協力していただき、数ヶ月も前から訓練を重ねたとのことです。
御崎祭り御崎祭り
そうして登り切ると、全員が一斉に万歳三唱! 境内を練り歩きながら、集まった人々の頭上でお祓いをします。その後、打植祭りや神舞などが行われ、鉾と傘は無事、奉納されました。この祭事が終わると、佐多は正月を迎えます。古式ゆかしき御崎祭り…はじめて見る機会を得て、あらためて日本の歴史の深さが心に沁みました。



御崎祭り御崎祭り 御崎祭り御崎祭り

これまで紹介した見どころのほかにも、大隅半島には、かつての豪族・禰寝氏の墓所(初代~第4代は佐多郡、第5代~第16代は根占にあります)をはじめ、たくさんの古墳があります。
自然豊かな大隅半島が「Roots of Japan(歴史の宝庫)」といわれるゆえんが理解できた旅でした。

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