NPO法人 さいたま市鹿児島県人会

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鳴川顧問が、「文藝春秋」で紹介されました。

先般発行された「文藝春秋」8月号「日本の顔」で、ノーベル生理学・医学賞を受賞された北里大学特別栄誉教授・大村 智(おおむら・さとし)氏の友人として、当会の顧問・鳴川 洋一氏が、大村氏と談笑するシーンとともに紹介されました。
そこで、鳴川氏に、ご自身のこと、大村氏との出会いのこと、そして大村氏との交流をきっかけとして、長きにわたる学究一筋の歩みに裏付けられた「教育論」について語っていただきました。(取材・文:植村 耕二)

鳴川 洋一(なるかわ・ひろかず)氏・プロフィール

鳴川 洋一(なるかわ・ひろかず)氏NPO法人さいたま市鹿児島県人会顧問
学校法人女子美術大学顧問(中学・高校・短大・大学)
関東阿久根会会長・アクネ大使
昭和9年2月、鹿児島県阿久根市に生まれる。地元の鹿児島県立阿久根農業高校(現・鶴翔高校)を卒業後、日本大学政治経済学科に入学。大学卒業後、学校法人女子美術大学の中学・高校・短大・大学で教育や経営に携わる。その後、開智学園では理事長を歴任。さらに、学校法人日本力行会でも理事長として、留学生会館の運営と幼稚園経営に携わる。現在は、学校法人女子美術大学顧問(中学・高校・短大・大学)、NPO法人さいたま市鹿児島県人会顧問、関東阿久根会会長・アクネ大使として、さまざまなステージで精力的に活動中。

 

阿久根駅から柳行李ひとつで

私は、昭和29年の18歳の時に、鹿児島の阿久根駅から、柳行李(やなぎごうり)ひとつを持って、両親に激励されながら上京しました。当時は、東京まで蒸気機関車で33時間もの道のりで、混みあう車内では、もちろん座る所はなく、新聞紙を床に敷いてうずくまっていました。「お腹がすくといけないから」と母親が用意してくれた握り飯を取り出したものの、車内に充満する煙の臭いで食欲もわかず、水筒の水ばかり飲んでいました。おかげで夜も眠れずに、やっとの思いで「品川」駅に到着しました。
上京してからは、阿久根出身の尾崎 末吉代議士のもとで書生としてご厄介になり、大学の学費の面倒をみていただくなど、たいへんお世話になりました。はじめて手にした給料(8,300円でした)のうちの1,000円を尾崎先生の奥様にお渡しした時に、「いままでに多くの書生がいましたが、(そのようなことをしてくれたのは)貴方がはじめてです」と、たいへん喜んでいただいたことは、いまでも忘れられません。


「私学の道」へのきっかけ

日本大学法学部では、私は政治経済を学びました。当時、わが国は「安保闘争」の混乱期で、多くの大学は閉鎖状態で、教室も学生に占拠されて勉強どころではない時代でしたが、私は、杉山研究所の研究員として、昼夜を問わず研鑽を積みました。そして私立大学の現状回復が始まり出した頃に、主任教授であった杉山先生と日本私立大学協会専務理事の矢次 保先生から「女子美術大学に行って、学園の再建に協力しなさい」と言われました。このひと言が、今日まで私が「私学」に携わり続ける契機となりました。
その後、私は、女子美術大学で教育や経営の末席を汚すことになったのですが、15年ほど経過した頃、埼玉第一高等学校(現・開智高等学校)を経営している友人から「理事長として、わが学園の再建に参加してくれないか」と声をかけられ、女子美術大学の職員を辞して引き受けることになりました。


大村さんとの出会い、そして交流

文藝春秋・8月号「日本の顔」より(右:北里大学特別栄誉教授・大村 智氏)<font size="-2">文藝春秋・8月号「日本の顔」より(右:北里大学特別栄誉教授・大村 智氏) <br />写真提供:株式会社文藝春秋</font>この埼玉第一高等学校の理事長時代に、(昭和61年頃だったと思いますが)北里研究所が埼玉県北本市に総合病院を設立するということで、埼玉県知事を訪問する機会がありました。その折に、中央大学出身の(私の)友人が大村さんを紹介してくれたことが、その後から現在まで続く(大村さんとの)交友関係のはじまりでした。
この出会いをきっかけとして、私は、大村さんに、埼玉第一高等学校の教職員に向けた講演をお願いしたことがあるのですが、その講演で、大村さんは、こう言われました。
「教育とは、子供たちの心や知識や個性というものに対して、先生が(自分の考えを)一方的に押しつけるのではなく、一人ひとりの違った"能力を開いてあげる"ことだけでよいのです」
この言葉は、いまもなお耳に残っています。私は、この言葉こそ、子供を育てるための「教育原理」だと感銘を受けました。
この講演後に私は、大村さんが言われた「能力を開いてあげる」という言葉から「開」の一文字と、大村智さんのお名前の「智」の一文字をいただいて、それまでの「埼玉第一高等学校」という校名を、学園の名称を「開智学園」、学校名を「開智高校」と改名し、のちに大村さんに学園長をお願いしたのです。
一方、女子美術大学に関しても、ふたたび大村さんにお願いをすることになります。この学校法人は、明治33年に「芸術による女性の自立」を掲げて創立された中学・高校・短大・大学で、わが国唯一の女子のみの美術大学です。当時は、学内に優れた経営者も少なく、時々、外部から経営者を招聘することがありました。そこで私は、第1回目(1997年~2003年)と第2回目(2007年~2015年)にわたって、大村さんに理事長をお願いしたのです。


大村さんは、まさに「一流の人は努力の人」

大村さんは、皆さんご存じかと思いますが、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された化学者ですが、最初から順風満帆な学者人生ではなかったとのことです。地元の山梨大学学芸学部(現・教育学部)自然科学科を卒業され、その後は理科教師を志しておられたのですが、地元の山梨では採用がなかったため、埼玉県浦和市(現・さいたま市)に移住されました。そして、東京都立隅田工業高校(定時制)で物理や化学の授業の教鞭を執って5年間勤務されましたが、「自分も、もう一度勉強し直したい」との思いから、東京教育大学の研究生となり、その1年後には、東京理科大学大学院の研究室に所属しながら、大学院の理学研究科修士課程を修了されました。
さらにその後、文部教官として山梨大学工学部発酵生産学科の助手となられて、ブランデーの製法の研究に従事された後、山梨大学を退官されて、社団法人北里研究所に技術補として入所されました。そこでは、「Leucomycinに関する研究」によって東京大学から薬学博士の学位を授与され、北里大学薬学部助教授に就任されました。同時に、博士論文「ロイコマイシン、スピラマイシンおよびセルレニンの絶対構造」によって東京理科大学から理学博士の学位も授与されています。
一方、ウェズリアン大学(アメリカ・コネチカット州)の客員教授も兼任され、日本に帰国されてからは北里大学薬学部教授に就任されて、数多くの大学教授や博士を輩出して後進の指導・育成に尽力された、まさに「一流の人は努力の人」を痛感させられる素晴らしい方です。
また、学術分野だけでなく、当時財政が悪化していた北里研究所の経営を憂慮され、北里大学の教授職を自ら辞されて、経営学や不動産学を学び、北里研究所の理事、副所長、所長として再建に多大な貢献を果たされた、(大村さんの)理念である「研究を経営する」を実践される方でもあるのです。


日本の学校制度に思うこと

このように私は、大村さんという貴重な知己を得たこと、そして女子美術大学では中学・高校・短大・大学を、また開智学園では理事長として、さらに学校法人日本力行会では(理事長として)留学生200名が生活する留学生会館の運営と幼稚園経営という、まさに「日本の学校制度」の道程を一貫して歩んできました。
振り返ってみると、日本大学生産工学部での経済学説史の講師時代や開智学園の理事長時代から(私の)念頭にあったことなのですが、資本主義の歴史から鑑みると「いまの生き方が、これで良いのか否か?」という自問自答が、いまも頭をよぎります。「需要と供給」そして「生産と消費」という資本主義経済の発展は、どこかで社会の破綻を導く恐れがあり、私達は生きていくための「道標」というものを、他にも探しておく必要があると思っています。
それには、教育が変わる必要があります。近頃、少子化問題などによって「私学」の生き残りのための方策や改革が叫ばれていますが、「学校の生き残り方策」ということではなく、教育そのものを改革しなければ「時代」は発展していかないと考えています。松下 幸之助氏や本田 宗一郎氏は大学には進学しませんでしたが、きわめて創造的・野生的に世界に羽ばたきました。成績云々よりも、夢中になれるものを持っている人…私は、そういう若い人を育てたいと思っています。

余談になりますが、私は「他人に受けた恩は石に刻み、他人に与えた恩は水に刻む」という言葉が大好きです。現在は、ふるさと鹿児島・阿久根に少しでも恩返しできればと、関東阿久根会の会長職も拝命しています。さきごろ阿久根市長が上京された折に、「阿久根駅で、毎月末に定例演奏会を開いているのですが、ピアノがなくて困っています」と言っておられるのを耳にしました。「阿久根駅」は、私が18歳で上京する時の「スタートライン」であり、両親に激励され見送られた「人生の船出の場」でもありますので、ピアノを贈らせていただくことをお約束しました。ふるさとの小さい駅に、毎月1回、子供達の夢や希望が鳴り響く日が楽しみです。

講演のお知らせ

内 弘志(うち・ひろし)氏内 弘志(うち・ひろし)氏講演「資本主義経済の発展と教育問題(仮題)」
講師:鳴川 洋一氏
日時:201611月26日(土)18:30開演(受付開始/18:00~)
   ※先着80名様にて締め切りとさせていただきます。
場所:浦和コミュニティセンター 浦和パルコ・コムナーレ10階 13集会室
   (埼玉県さいたま市浦和区東高砂11-1)
   ※JR東北本線/京浜東北線/宇都宮線/高崎線「浦和」駅より徒歩1分

チラシ・お申込書はコチラ

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